伊東ぢゅん子のひとりごと

2001/06/15 | むかし、むかしの伊東ぢゅん子

20歳で短大を卒業して、周りの友人達がいろんな企業に就職し、バイトオンリーの学生時代を送っていた伊東には、もちろん人様に言えるような成績なんぞを残したわけもなく、オヤジ様が頭を下げて、やっとの思いでいただいたコネを使っての就職も希望がちぃ~っともないからそっぽを向いて……。
何が自分にできるのか、模索しながら始めた短期のバイトが伊東の人生を大きく変えました。

3ヶ月のバイトでしたが、東京都の互助組合のお手伝いで会報誌を作るのがおもなお仕事でしたが、まわりのみなさんが市販で売ってるイラスト集からコピーして使っているのを見て「これくらいなら自分でも書けそう」と思って、書かせてもらったのがイラストレーターになるきっかけ。

もちろん、イラストレーターなんてどうなりゃなれるかさっぱり分からないし、そんな特殊なスゴイ世界に(この頃はそう思っていた)自分が足をつっこめるとは思いもよらなかったけど、世の中不思議なモンで、そんな伊東のぼや~っとした夢話を親戚の姉ちゃんが耳に入れ、編集社にフリーでつとめる人が知り合いに
いるってコトで、ご紹介をうけたワケです。もう、ドッキドキのご対面~。

すっごい業界の人が来ると思いきや、待ち合わせの喫茶店にいらっしゃったのは遙かに想像とは違うお人でした。だって、ネクタイなしのスーツに下駄はいてたんです、その人。
高畠さんとおっしゃるその方は、何故かその後も伊東をちょくちょく呼びだして「知り合いのイラストレーターに会いにいくから着いてこい」ってなカンジ。
はっきり言って門前払いを2人で受けたこともありました。「うんうん、うまいね、でも、うちはいらないよ」ってな態度。シビアだったなぁ。
高畠さんは、私の横で同じように小さくなっていたなぁ。何であんなに一生懸命やってくれたんだろう?今でも不思議なくらいです。

そんなこんなでやっとこさ、伊東を弟子にしてくれるというフリーでイラストレターをしている、当時36歳(男性)の師匠と巡り会えてめでたいコトに弟子入りスタート!

しっかし、はっきり言って辛かった。師匠と2人きりの生活は。
朝10時~夜6時までの勤務で、日曜日のみお休み。
自宅のあった浦安から渋谷の宮益坂までの距離。ど~やったら今日はさぼれるか、
必死に考えていたなぁ。だって、華やかな世界とは大違い。はっきり言って地味!の一言。

師匠とはいえ、いろいろ技術を教えてくれるわけでもなく、ただコーヒー入れて
掃除して、トラフィックして。しかも、師匠は口数がすっごく少なくて、ひどい時は朝「おはようございます」夜「お先に」しか言わないことも。ランチも2人で行くけど師匠は黙々と食し、私の頭に中には「何の話題だったら師匠との会話が続くのか」だけ。

この時の給料は交通費込みで50.000円。弟子入りとはいえ、キツかったです、ハイ。

1年以上がだち、もうだめかなぁ~と、けっこう落ちこんでいた頃、週刊朝日の「街角MAP」という
素人がイラストを投稿するコーナーでなんと私の作品が入選に。しかも、ギャラが50.000円!
1ヶ月の給料と一緒じゃん!って、その金額にもびっくりでした。
(こんな話だと伊東が大昔の人間のような気がするでしょ? その頃の短大卒の初任給が12万8000円くらいでしたよ、確か)

かなり諦めかけていたので、それは伊東にとって計り知れないパワーをくれたワケでして今の伊東の原動力にもなっているかもしれません。いろんな人たちと出会い、別れ、そしてまた出会い、繰り返しながら伊東の会社のココットも10周年です。

早いなぁ、青春って。きっと、人生も早いんだろうなぁ。まさに矢のごとしってカンジ?
後悔のないよう、満足する仕事をしたいとすっごく思うのは年のせいかなぁ。
まずはともあれ、イイ仕事したいなぁと思いますので、みなさま、今後ともすっごく
よろしくお願いいたします!

平成13年6月15日 伊東ぢゅん子