伊東ぢゅん子のひとりごと

2004/08/06 | こんなこともあったっけなぁ

よ~く見るとすごい料理だよね。何がのっかっていると言うと、そう、泣く子も黙る「サソリ君」。いえね、ネットで偶然こんな写真を見つけたもんで、昔、伊東もこれ、食ったな~と思い出したわけ。
今から13年くらい前、伊東は親戚のおじちゃん達とファミリーで中国へ旅したことがあるんだよね。今でこそ、日中友好ムードが多少あるけれど(とはいえ、サッカーのサポーターは反日感情すごいねぇ、相変わらず)その頃は「中国行ったら反日感情が半端じゃないから気をつけなさい」って言われて行ったんだっけなぁ。いえね、伊東のおじいちゃんは終戦直後、満州から日本へ引き揚げてくる途中で腸チフスにかかって亡くなったらしいんだけど、60才を過ぎる前に伊東のオヤジが「おじいちゃんを埋めてきた場所へもう一度行こう」と兄弟達を集めて一同へ満州まで行って来たわけ。戦後、日本人がやってきたのは3組目とか言ってたな、、、旧満州の近くの村では。(ちなみにおじいゃんを埋めてきた場所は分からなかったんだよね、残念ながら)
すごい旅だったなぁ。1日1本しか出ない列車。予定発車時刻が11:30分だというで、駅に11:05分に行ったら、走り出そうとしてたな、その1本しかない列車。大慌てで飛び乗ったなぁ。60才の叔母ちゃんも血相変えてホームを駆けてたなぁ。
トイレもショックだったなぁ。公衆トイレはまず普通の日本人じゃ入れないと思うわね~。だって、壁、なかったもん。トイレの壁がなくて、用はたせないわよねぇ。ええ、だから、恥ずかしながらホテル以外でしたくなったら草むらへ行かせていただきました、伊東は。慣れるとこれも快感ね。シンヨウとかいう町では、どっかのおっさんが普通に犬を連れてきたなぁと思ったら、木に突然くくりつけてすごいナタで犬を解体しだしたっけなぁ。活きがいい雑種の大きな犬。生きてる犬。車の中から絶叫発狂したっけなぁ。とはいえ、同行していた秋田の山奥に住んでいるおじちゃんは「赤犬は旨いんだぞ」と一言つけていたな。ちょっと昔の日本の姿があるみたいだったなぁ。中国も上海や北京は大都会なんだろうけれど、東北のロシアの国境の近くになると、時間がとまっているというか、戦前の日本と変わらない、と母が言っていたっけ。
下半身むき出しの子どもが目の前で大きなウ○チをしたとたん、コブタやアヒルがハイエナの如くその大きなブツをあっという間に食べてしまうしねぇ。いやはや、すごい場所でした。ただ、田舎へ行けば行くほど、反日感情なんて全然なくてとても親切で素朴な人たちだったなぁ。優しい中国人ばっかだったなぁ。
ハワイもオーストラリアもタイもバリもいろいろ観光旅行した伊東だけど、中国のこの東北旅行はカルチャーショックの連続だった分、楽しかった。たしかに反日感情がすごい地域があって、列車の中で「シッシッ!」とあっちへ行け、とやられたり、すごい顔してじ~~っとにらまれたりさ。あまりにも目を逸らさずにじ~っと見るので困っていたら、伊東の妹が小さな声で「ニイハオ」と言ったらにやっとして見るのをやめたおやじもいたなぁ。10時間以上列車に揺られての移動だったので、燃えないゴミと燃えるゴミを分けていたら、女の車掌さんがきて、みんな窓から外へ捨てていたなぁ、線路の上に。ビンや缶まで捨てたのには驚いたな。なぜかビニール袋だけ持っていったっけなぁ。
最後の夜、たしか長春のホテルでの晩餐会でこの「サソリ君」の天ぷらが出たんだっけなぁ。で、あまりにも珍しい食材(か?これ?)なもんで、3姉妹の伊東はジャンケンで負けたヤツが「サソリ君」のみを食べるというバツゲームをしたわけ。
で、負けたわけね、伊東が。旨いかマズイかって聞かれてもまじでわからんチンってかんじ。何より頭から食べようとするとあのキレイにカーブしたお尻の先が鼻先に来るわけで、それが無茶苦茶イヤだったなぁ。シッポの先から食べるのも抵抗があってなぁ、サソリ君って頭でかいじゃない?そこを最後っつうのもねぇ。悩んだもんです。動くものは飛行機以外何でも食す、という中国の人に敬意を払いましょうねぇ。やっぱ、好き嫌いしてるから日本人は軟弱になってきた気がしますわ。サンマの頭も食べましょうね。せめてししゃもの頭はのこさずに。
偶然見つけたこの写真でとっても懐かしい思いをしたなぁ。平和よね~。

8月のあまりにも暑い日に、しみじみ、こんなことを考えている伊東でした。