伊東ぢゅん子のひとりごと

2011/05/17 | 渡せなかった贈り物

2011.3.11(金)の午後東北大地震が起こり、埋立て地の浦安市内は液状化ですごい目にあうことに、、、。実家はディズニーのそばなんだけど、コンクリートの道路はぐにゃぐにゃに。実家はガスと下水が使えるようになるまで1ヶ月もかかりました。我が家も2cm弱ほど傾いて、勝手に扉が閉まるようになりやした。


その二日後、伊東の愛する父が急に亡くなりました。液状化した実家の庭のドロを運んで、疲れて、横になり、そして、、、そのままあの世とやらに逝ってしまいました。本人は寝ながらなので、今も自分が死んだなんて気がついていないんだろうなぁ。残された遺族はたまったもんじゃないけどさ。やはり心の準備くらいさせてほしかったですわ。携帯に母から電話がきて「ど~した?」とのほほんと電話に出たアチキに向かって、母上が「パパが息してない!」と絶叫して、、。
「救急車呼んだの?」と言うと、「うわ~~」という叫びとともにガシャン!と電話を切った母上。
足がすくむというか、震えるというか、怖かったです。なんも出来ない自分だったし。すぐに病院へ駆けつけたら上半身裸の父をすごい勢いで心臓マッサージしてくれている救急隊の人達。忘れられない光景ですなぁ。
そして、20分後にお医者さんから「2時42分、ご臨終です」と告げられました。
いや~~、心の準備がなかったせいもあるんだけど、泣きましたね、これ以上泣けないくらい泣きましたわ。人間、ここまで泣けるのかっていうくらいに。
そしたらね、ここまで泣くと自分の顔の骨(しゃれこうべ?)が全体で疼くんですわ。初めての体験でした。

急だったし、心の準備もなかったし、父が大好きで相談相手だったアチキにとっては、正直キツかったですなぁ。親が先に逝っちゃうのは仕方のない事と分かっているし、どこかで覚悟もしていたんだけど、今回の地震さえなければまだまだ元気でいられたのに、、、という思いが捨てられなくて。
と、いうのも亡くなった6日後には母と父の喜寿祝いで豪勢な旅行をする予定で、その際に手作りプレゼントを渡すつもりだったし。
父も母もゴルフが趣味なので、オリジナルゴルフボールをプレゼントしたくて、伊東の書いた似顔絵つきのボールを父には3ダースプレゼントする予定でした。

めったにないけれど、いっしょにゴルフするとダーリンマンのボールを間違えて打っちゃうこともあったので、これならもう二度と他人のボールと間違えなくてすむと思って作ってあげたかわいいボールたちです。
それと、50年以上夫婦している両親に、お揃いのペンダントも用意。母にはペンダント、父にはキーホルダーにしてプレゼントしようとおもっていた。

そして、たった一人しかいない孫である、伊東の娘が書いた似顔絵つきのストラップを両親にお揃いで、、、。お金をかけてのプレゼントより、今回は手作りでいこうと張り切って用意していたのに、、、。

これらを受け取った顔を見れないであっちの世界に逝っちゃいました、親父殿。寂しくて&寂しくて仕方がなかったけれど、よく言ってくれたよね~「ぢゅん子はよくがんばってる!」って。その言葉を生涯忘れないで、父のように死ぬまで現役で!そして、元気で過ごしていたいと思います。
納棺された父上の顔は仏様のようにきれいな顔してました。それがせめてものすくいかな。
あの世に逝っても、、、、親父殿、これからも見守っててね!!!頼むよ!!!