伊東ぢゅん子のひとりごと

2014/01/15 | グッバイ、ダーリンマン

2013年は、本当にいろいろありました。
ほとんどの方々がご存知の通り、愛するダーリンマンの死去によりまさかの未亡人になってしまった伊東でございます。人生何がおきるかわかりませんね、、、、。ダーリンマンのたっての希望で自宅を改築して、彼が本当にこだわってトヨタホームさんと連携して建てた新築の家に、たったの3ヶ月しか住めなかったダーリンマン。
朝7時過ぎに通勤電車の中で意識がなくなり、周りの乗客の方々に助けられながら救急搬送されたにもかかわらず、そのままあっちの世界に逝ってしまいました。54歳なりたてホヤホヤで、、、。

横浜の市立病院から電話をもらったときは、「またホームに落ちたのか?」と一瞬思ったのですが(数年前川崎駅でこけて落ちたことがあるダーリンマンゆえ)、ドクターの口ぶりで想像つきましたわ、、、。
「なるべく早い手段で来てください」という強い言葉に尋常じゃない状態なんだと。すぐタクシーに飛び乗って15分もかからないうちにまた病院から電話が入ったとき、覚悟しました、もうダメなんだと。
それから先はもう言葉や文字では表せない事態に、、、。

最初は連載させていただいている仕事や、新しい企画ものの仕事など、請負っていたものを何としてもやろう!と思っていたのですが、さすがにイラストを書けるような状態じゃないし、何よりも伊東の得意の楽しい絵が精神的に描けるのか?と、、、。
断腸の思いで仕事のキャンセルの旨を伝えた時、ほとんどのお客様が「こちらで何とかするので、心配しないで」と言ってくださったこと、本当に感謝しきれない伊東でございます。3週間近くしっかり休んで、仕事復帰した時も、どか~んと仕事をくださったことにも感謝&感謝です。
忙しいくらいのほうが精神的にとてもラクだったんですよねぇ~ほんとに。自分にはこの仕事があるんだという思いで「力」をいただきました。一人娘が思いのほかしっかりしていたことも、愛犬ココと愛猫シンにもめちゃくちゃ助けられました。シンも一年前に娘とダーリンマンが拾って来た野良猫ちゃんで、ココがいる我が家では、猫は絶対に飼うつもりがなかったのに、これも運命だったのか、、、シンは強運の持ち主でございます。
しかも、我が家のたった一人の男の子になりました、シン君。

この衝撃的な出来事の中でのマジな事件をひとつ。
ダーリンマンは外出先で急死したので、どうしても検死しないといけないとの警察のお話で、その間病院から自宅に帰り、彼を待っていたときのこと。伊東の母は相撲が大・大・大好きなんだけど、伊東の自宅の按摩機でブルブルゆれながら、テレビをつけて相撲観戦をしておりました。、、と、そのときの母上、大好きなお相撲さんが登場したら二階にいる姉貴に向かって大騒ぎを、、、、。

、、、、耳を疑いましたよ。実の娘の夫が亡くなったその日に、相撲を見ながらはしゃいでいるこのば~さん(怒)!!!
なんちゅ~無神経な、、、と思いましたが、これも大切な実の母。文句を言う元気もなかったけれど、一生忘れませんわね。
ちなみにこの母上、父が急死した夜、姉貴と伊東と母とで「川の字」で寝たのですが、我らは一睡もできなかったのに、イビキかいてましたわ、父の亡くなった夜。まぁ~、そのイビキを聞きながら「母は大丈夫だな」と思ったもんですけど。
天然でたくましい母上なんですよね~、さすがですわ。まじ尊敬!

ダーリンマンのことを思うとまだまだ涙ポロポロの夜もありますが、遺った者こそ、元気で力強く生きていかないといけませんよね。何よりも、こんなに愛しい娘と出会えたのは彼のおかげですもん、母子仲良く生きていくぞ。いつも年明けのときは、「今年は○○○○○○」とお願いする伊東でしたが、ダーリンマン亡き後、「今日一日は○○○○○」と願うようになりました。人生なにが起きるかわかりません!一日を後悔しないように、やろうと思った事を無理せずほどほどにがんばっていこうと思います。どうぞ&どうぞ皆様も健康に気をつけてgoodな日々を過ごせますように!!!
さぁ、これからも伊東らしくがんばりますので、今後ともよろしくお願い致します。

追伸、通夜告別式に駆け付けてくださった皆様、一緒に泣いてくださった皆様、
皆様の優しさにめちゃくちゃ触れられたこと、本当に感謝しております。
伊東ももっともっとそうなれるように精進したいと思います。